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常陸国の神社めぐり 第八回 長幡部神社(常陸太田市)

今年最後になると思います。今回は常陸太田市に鎮座します長幡部神社に行きます。

20131225-4

参道が狭いらしいと予めわかっていたのですが、マジで狭かったorz
手前で手を上げてる子供の手の向きが気になりつつ参道を上りますがすぐに・・・


20131225-6

まじかww

バイクも置けないなぁなんて思っていたら近所の方が「お参りに来たの?ならうちの駐車場停めなよ」と声をかけて下さりました。ありがたやありがたや。

お礼を言って停めさせていただき、参道を進みます。

20131225-7

う~ん渋いw

20131225-1

で、到着です。参道も結構距離と高低差がありました。

20131225-2

御祭神は綺日女命(カムハタヒメノミコト)と多弖命(タテノミコト)です。

 綺日女命は瓊々杵尊の天孫降臨の折に、御服を織る為に機織機を持ってお供をした神様です。
 日向の二神の峯より、三野の国の引津根の丘に移られます。
 崇神天皇の頃、三野より、長幡部の祖先である多弖命が常陸國久慈郡太田郷に移り住み、機殿を立てます。
 この機殿で織られる服は、自分から衣裳となり、裁ち縫いする事がなく、「内幡(うつはた)」と呼ばれたそうです。
 また、絁(あしぎぬ)を織る時に人に見られないよう、扉を閉め、中を暗くして織るので、「烏織(からすはた)」とも呼ばれたそうです。
 どんな剣でも断ち切れなかったこの絁は、年毎に神調として奉られたとの由緒が伝わっています。
 社名である長幡はこの絁の名前で、これを織り作る者を長幡部と言い、御祭神の子孫がその遠祖を祀ったのが当社だそうです。
 因みに絁とは絹織物の一種であり、後世の紬のような平織りの織物であると推定されています。
 中世以降は小幡明神、駒形明神と称するようになり、康平年間(1058-1065)に源頼義が奥羽征討に際し、戎旗を奉献して戦勝を祈願、凱旋に及び社地に鹿島・三島・神明・若宮八幡の四所を祀り、四所明神となると、遂に社号を失って鹿島明神とのみ称されるようになったそうです。
 社名が旧社号に戻ったのは延享年間(1744-1748)で、その後、水戸藩に厚く保護されています。
 明治六年郷社に列格しています。

宮司さん居ませんがご由緒書が置いてあり、参考までに簡記してみましたが長いね。うん。

またこの神社は幡山古墳群の中に位置しており、これらは当社の祭祀氏族のものと見られているそうです。

そういえば以前にお参りした静神社も機織りの神様だったなぁ・・・

20131225-3

近くにある若宮八幡宮の宮司さんがこの神社の宮司も兼任されているということで、そちらに伺いました。
印が無いので墨書きで、とのことで頂きました。

2131225-5

| 常陸国の神社めぐり | 17:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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